電凸から世界を救う方法

  中川淳一郎氏の指摘を待つまでもなく、ネットの中にはバカと暇人がうようよいる。そして、バカであるがゆえに現実世界で誰からも相手にされず、鬱屈した思いをため込んだ者は、そのはけ口のために「電凸(※)」などということをするのである。そのバカが「正しいことをしているつもりになっている」のか「迷惑をいとわずにやっている」のかはどうでもいい。仮に正義感からであっても社会にとっては大いに有害だというだけで十分である。

(※)自分に何ら関係のないことであっても、電話をかけて直接苦情等を伝えること。「電話突撃」から生じたネットスラング

  ネット以前の時代には、こういうバカはバカであるがゆえに社会から迫害され、孤立し、社会に対する何の影響力も持たずに無害であった。これこそが世の正しいあり方である。ところが現在は、彼らがバカであること・それゆえに社会から迫害されることは変わらないが、ネットが彼らをつなぎ、かつそれらのバカに電凸などという「力をふるう」方法を与えてしまった。要するに、本来はバカであるが無害であった連中が、バカかつ有害になったわけである。社会の後退である。

  これはかなり困ったことである。なぜなら、電凸というのは実際非常に迷惑だからである。

 

  世に不正があった場合において、無実の人を傷つけないことは必須だし、また不正や罪を犯した人に対しても適正な刑罰というものがある。つまり、ポイ捨てをしたり禁煙場所でタバコを吸ったりしたことで、死刑になったり社会から抹殺されないということである。そのために裁判手続きがあり、法律で量刑が定められており、「疑わしきは罰せず」の原則があり、検察に「合理的な疑いをいれない程度の犯罪の証明」が求められるのだ。

  ところが上記電凸バカにはこれらの手続き・原則の重要性を理解せず、自分たちの正義感を満たすためだけに、自分たちが裁くわけである。しかもその正義感はだいたい間違っている(なぜなら彼らはバカだから)し、かつ仮にその相手が無実であったところで「だって、ネットにそう書いてあったんだもーん。俺らはそれを信じたんだから悪くないんだもーん」という言い訳をして何ら反省することがない。バカで有害だとしか言いようがない。くだらない正義感を満たしてそれらバカが嬉しい以外、誰も得しないどころか、他の人は(というより社会全体が)損をするわけだ。

 

  要するにこういう電凸バカから権力を奪うことが重要である。

  幸いなことに、電凸バカは日本に1千万人もいるわけではない。それらバカの電話番号リストを共有して着信拒否にする。仮に着信拒否にできなくても、電凸バカだとわかった時点でずっと保留音を流しておく。その間の電話回線がふさがってしまうのが残念だ。どなたか、「この時だけ用の電話回線」を提供する(つまり電凸バカの電話を自動的にそちらに転送する)サービスを始めてもらえないだろうか。

  苦情対応などおろそかにできないことはあろうが、これら電凸バカは誠意を持って対応すべき相手ではない(対応しても電凸バカ以外誰も得をしない。特に電話口で対応に当たる方の心労は大変なものである)。対応しても企業等対応する側に何のメリットもないから、単に対応しなければよいのだ。これまで「丁寧な対応」を心掛けてきた窓口・対応者の方々は、電凸バカに対しては発想を変えていただきたい。考えてみてください。それらバカは、あなた方の商品の消費者でもなければ、関係者でもないでしょ? 相手をする必要がないんですよ。

  また、権力を奪われたバカが2ちゃんねるで傷をなめ合ったり、悪口を言ってストレスを発散させる分には何ら問題ない。それが現実とつながる、現実に影響を与えるのが問題なのだ。上記の方法で電凸は封じられる。これでバカが現実に影響を与える手段の大部分を封じたといえる。これも幸いなことに、多くのバカは家にこもっているだけなのでナイフを持ってきたりはしないであろう。(何人か危険なバカはいると思うが。そういうバカこそ早く捕まえて刑務所に入れるべきである。)

  加えて、人々が2ちゃんねるを信じないこと(2ちゃんねるから情報を得ないこと)、「2ちゃんねるその他で話題になっていることをマスコミが報じないこと」が大事だ。つまり、2ちゃんねるなど、バカの活躍の場を「現実から切り離す」ことによって、バカから権力を奪うことが大事である。バカに権力を与えても有害なだけ、普通の人は迷惑するだけだからだ。

  1人1人にできることがある。社会を少しでもよくしていきましょう。