議員は人柄で選べ

(※今が旬の地方議員の話ではなく、国会議員を念頭に置いています。地方議員については別途述べます。)

  選挙の際に何を基準に候補者を選べばよいか。国民のことを第一に考える公平な、かつ能力の高い(政策の知識も豊富な)者がいれば迷う余地はない。しかし不幸なことにそうでない候補者の方が多い。そこで以下が問題となる。能力は低いが人柄がよい候補者と、人柄は悪いが能力が高い候補者がいる場合、どちらを選ぶべきか※。
  その場合は、迷うことなく「能力が低いが人柄がよい」候補者を選んでください。能力が低くとも、「国民の声にきちんと耳を傾ける」姿勢があれば、選挙民の利益を実現するために最低限の役割は果たせる。能力が高いに越したことはないが、例えば単に国民の要望を中央省庁に伝達するだけでも、(最大の難点である「利害調整」を霞が関に丸投げしたとしても)少なくとも有益ではある。
  一方、「人柄の悪い」議員は違う。彼らは自身のポイントを上げることにしか興味がなく、国益には関心がない。何か大事件があれば、担当省庁は当面はその事件の処理に全精力を注いだ方が国益にかなうことが明らかであるにもかかわらず、彼らは国会で「集中質疑」を開くのだ。その間、役所は国会を優先しなければならない(法令上そういうことになっている)から、その分対応が遅れるわけだ。そして彼らがそこまでして開催した集中質疑で行う質問は、「どうしてこのようなことが起きたのか」という誰もが思いつく、安全なところから政府を責めれば何となく自分が正しいかのように感じられる、緊急の必要性がまるでない質問なのだ。そんなもん今じゃなくていいだろ、後でゆっくり訊けと。
  これが、「彼らが国益には関心がなく、自分がポイントを上げることにしか興味がない」という意味だ。誰とは言いませんが、東日本大震災の時に、電源喪失と格闘している、本当にこれ以上ないほど一刻一秒を争う対応を行っている福島第一原子力発電所に乗り込んで、所長を怒鳴りつけた首相がいましたよね? 彼も「自ら真っ先に現地に赴きました」とアピールしたかっただけですよ。これほど国益を害した例も珍しいでしょうね。
  要するに、人柄が悪い議員を選ぶと、(能力が低いが人柄のよい議員と比較にならないほど)国益が害される結果になるんですよ。人柄が腐っている人物が大臣になったり、挙句は首相になったりすると、目も当てられない。

  もっとも、現代社会の選挙においては候補者個人というより政党がほぼすべてであるから、上記を実行するのはなかなか難しい。ただし、政党として、「誠実でない」「実現可能性がないことを知っていながら、国民を欺いて(政策を実行することではなく)票を集めることだけに注力する(要するに当選することのみが目的となった)」政党は問題外であり、そのような政党に属している候補者は「よほど人柄が悪い」と推定するほかない。この推定はそれほど外れていないだろう、まともな人格であれば、自身がそのような詐欺政党に属していることを、また詐欺戦略のみに基づいて議員の椅子に座ろうとしていることを恥じ入る気持ちは極めて深いので、耐えられずに離党するのが普通だからだ。

  よって結論。「議員は人柄で選べ。」「政党は誠実さで選べ。」
  本来であれば政党は公約で選びたいところなのだが、前回の衆議院選挙を見ても、「そのレベルに至らない」政党ばかりなのが困ったところである。およそ実現不可能な政策をよいとか悪いとか判断しても意味がないのだ。

※ 仮に「人柄が悪く能力が低い」候補者しか選択肢がない場合は、ご愁傷様というほかない。白票を投じるなり、次回ご自身で立候補するなり、がんばってください。